一歩違えば、自分だったかもしれない。元部下の死で考えた「生き直す理由」

リボーンの原点

先日、一人の訃報を聞いた。

以前、僕の部下だった人が亡くなった。

自ら命を絶ったという。

知らせを聞いた時、すぐには言葉が出なかった。

悲しい。

もちろん、それもある。

でも、それだけではなかった。

彼の人生と自分の人生には、あまりにも似ている部分があったからだ。

何度考えても、頭の中に同じ言葉が浮かんでくる。

一歩違えば、自分だったのかもしれない。


16年前、彼は僕の部下として入社した

彼と出会ったのは平成21年。

当時、僕が店長をしていた店舗に入社してきた。

僕より11歳年上だった。

年齢だけを見れば向こうが先輩だけれど、職場では僕が店長で、彼が部下だった。

そこから同じ店舗で約6年間、一緒に仕事をした。

その後、僕は転勤した。

勤務地は変わったけれど、同じ会社で働く仲間であることには変わりなかった。

彼が昨年退職するまでを数えれば、

約16年間、同じ会社でお互いの人生を見てきたことになる。

16年もあれば、いろいろある。

仕事で腹が立ったこともある。

意見が合わなかったこともある。

厳しく言ったこともある。

もちろん、一緒に笑ったこともある。

だから僕にとって彼は、

「昔いた元部下」

そんな一言では終わらない人だった。


僕たちは、似たような大きな失敗をした

4年前。

僕は飲酒運転で検挙された。

完全に自分の責任だ。

言い訳なんてできない。

会社では二段階降格。

当然、給与も大きく下がった。

さらに免許取消。

免許がないことによる減給も加わった。

転勤も命じられた。

環境が変わり、周囲の態度も変わった。

無視されたこともあった。

嫌がらせをされることもあった。

上層部から何度も屈辱的な扱いを受けた。

正直、

辞めた方が楽だった。

何度もそう思った。

自分でやらかしたことだ。

だから処分を受けるのは当然だと思っていた。

それでも、その後の毎日は想像していた以上にきつかった。

歯を食いしばって耐えた。

そして、その約2年後。

今度は彼が飲酒運転で事故を起こした。

彼も免許を失った。

執行猶予もついた。

事故を起こした社用車の弁償も背負った。

同じではない。

でも僕たちは、

飲酒運転という大きな失敗をし、その後の人生を立て直さなければならなくなった

という点では、よく似ていた。


彼は一度、会社を辞めようとした

飲酒運転で事故を起こした直後、

彼は責任を取って退職すると言っていた。

でも当時、会社は極端な人手不足だった。

長く勤めていた彼に辞められると、現場が回らない。

会社は彼を説得した。

結果として彼は残った。

降格もなく、大きな減給もなく、働いていた店舗も変わらなかった。

会社で受けた処遇だけを僕と比較すれば、

彼の方がずっと軽かったと思う。

僕自身も当時、

「自分の時とはずいぶん違うな」

と感じたことはあった。

でも今は思う。

会社から受けた処分の重さと、人間が心の中で感じる重さは、必ずしも同じじゃない。

彼には彼の苦しみがあったはずだ。

免許を失ったこと。

執行猶予になったこと。

弁償を抱えたこと。

そして何より、

自分自身が起こしてしまったことを、本人がどう受け止めていたのか。

それは外から見ただけでは分からない。


僕も会社を辞めることはできた

僕が飲酒運転をした時も、

会社を辞めるという選択肢はあった。

むしろ、

精神的にはその方が楽だったと思う。

全部放り出して、

別の場所でやり直すこともできた。

それでも僕は残った。

なぜか。

今ならはっきり言える。

家族がいたからだ。

綺麗事ではない。

僕が会社を辞めれば、引っ越しが必須だった。

子どもたちの学校も変わる可能性もあった。

家族の生活そのものを大きく変えてしまう現実があった。

だったら、

自分一人が茨の道を歩けばいい。

そう思った。

俺が耐えれば、

家族の生活は守れる。

僕は会社のために残ったわけじゃない。

会社への忠誠心で耐えたわけでもない。

家族を守るために、自分で「残る」と決めた。

だから苦しかった。

本当に苦しかった。

でも、

「何のためにここにいるのか」

だけは、自分の中から消えなかった。


彼が退職する時に漏らした言葉

昨年、

仕事上のある出来事をきっかけに、

彼は会社の上層部と衝突した。

感情的になり、

退職すると言い出した。

僕は何度も止めた。

本当に何度も。

「一時的な感情で人生を決めるな」

「今辞めるのは得策じゃない」

冷静になって考えてほしかった。

50代後半。

免許もない。

執行猶予中。

この状態で新しい仕事を探すことが、

決して簡単ではないことくらい分かっていたからだ。

そして何より、

僕自身が失敗したあと、

会社に残って生き直してきた人間だった。

だから彼にも、

ここで全部を投げ出してほしくなかった。

その時、

彼がポロッと漏らした言葉がある。

「俺は会社が残ってくれと言ったから残ったんだ。」

そして、

「こんな思いをするなら、あの時辞めていれば良かった。」

その言葉を聞いた時も、

僕は退職を思いとどまるよう説得した。

でも彼の意思は変わらなかった。

彼は会社を辞めた。

それが約1年前だった。


同じように残った。でも「残った理由」は違っていた

今回の訃報を聞いてから、

あの言葉を何度も思い出している。

僕と彼は、

似たような失敗をした。

そして二人とも、

その後も会社に残った。

表面だけ見れば、とても似ている。

でも、

今になって気づいた。

僕たちは、残った理由がまったく違っていた。

僕は、

自分で残ると決めた。

家族を守るためだった。

だから会社からどんな扱いを受けても、

「ここに残る理由」そのものまで会社に奪われることはなかった。

一方で彼は、

本当は辞めようとしていた。

そこを会社から

「残ってくれ」

と言われて残った。

だから彼の中には、

「会社に求められたから残った」

という思いがあったのかもしれない。

そんな中で、

その会社から厳しく責められた。

その時、彼が感じたものが何だったのか。

僕には分からない。

ただ、

「あの時辞めていれば良かった」

という彼の言葉は、

今になってあまりにも重く響く。


だからといって、彼が亡くなった理由は分からない

ここだけは、

自分自身にも言い聞かせておきたい。

彼が会社を辞めたから、

自ら命を絶った。

そんな単純な話ではない。

僕には退職後の彼の生活も、

心の中も分からない。

何に苦しみ、

何を考え、

どんな一年を過ごしたのか。

分からない。

だから、

「あの時辞めなければ生きていた」

と断定することはできない。

それでも、

人間だから考えてしまう。

もし、あの時。

僕がもっと強く止めていたら。

会社に残っていたら。

毎日行く場所があって、

誰かと話して、

仕事という役割があったら。

今も生きていたんじゃないか。

答えなんてない。

それでも、

考えてしまう。


「一歩違えば、自分だったかもしれない」

そしてもう一つ、

どうしても考えてしまうことがある。

僕自身のことだ。

僕が飲酒運転をして、

人生が大きく崩れた時。

もし、僕に家族がいなかったら。

守らなければならない生活がなかったら。

子どもたちがいなかったら。

僕は、

あの茨の道を本当に歩いただろうか。

会社からどんな扱いを受けても、

歯を食いしばって耐えただろうか。

正直、

分からない。

当時の僕は、

「自分が耐えた」

と思っていた。

「俺は逃げずに踏ん張った」

と思っていた。

もちろん、それも間違いではない。

でも今回のことがあって、

少し見方が変わった。

僕は一人で立ち直ったんじゃなかった。

家族がいた。

守りたい人がいた。

帰る場所があった。

僕が踏ん張る理由を、

家族が作ってくれていた。

だから今の僕がいる。

そう考えると、

本当に紙一重だったんじゃないかと思う。


人は「苦しみに強いから」立ち直れるわけじゃない

今回、

もう一つ強く感じたことがある。

僕の方が処分は重かった。

それでも僕は耐えた。

だからといって、

僕の方が彼より強かった、

とは思わない。

人が耐えられる苦しみは、

降格が何段階だったとか、

給料がいくら減ったとか、

そういう数字だけでは測れない。

同じ10キロの荷物でも、

何のために背負っているかによって、

重さは違って感じることがある。

自分で選んだ苦しみと、
誰かに選ばされたと感じる苦しみも、同じではない。

僕には、

「家族を守る」

という理由があった。

彼が当時、

何を支えにしていたのか。

僕には分からない。

でも今回の出来事を通して、

人が立ち直るために必要なのは、

ただ

「頑張れ」

と言われることではないんじゃないかと思うようになった。


「何のために、もう一度立つのか」

僕は、

「リボーン|人生やり直しの途中」

という名前で発信している。

これまで何度も、

人生はやり直せる、

と書いてきた。

でも今は、

その言葉の前に一つ、

付け加えたい気持ちがある。

人生をやり直すには、

ただ立ち上がればいいわけじゃない。

ときには、

「何のために、もう一度立つのか」

が必要なんだと思う。

家族かもしれない。

仕事かもしれない。

夢かもしれない。

誰かとの約束かもしれない。

ペットかもしれない。

明日食べたいものだっていい。

別に、

立派な理由じゃなくていい。

ただ、

「もう少しここにいよう」

と思える何か。

それが人を、

この世界につなぎ止めることがあるのかもしれない。


それでも、救えるなんて思わない

今回のことがあったからといって、

これから僕が誰かを救える、

なんて思ってはいない。

人の心の奥底まで、

他人には分からない。

どれだけ話を聞いても、

どれだけ心配しても、

最後まで分からないことはある。

彼が何を抱えていたのかも、

僕には分からないままだ。

だから、

彼の死を何かの教訓にして、

きれいにまとめるつもりもない。

ただ、

これから誰かが僕の前で、

「もう全部どうでもいい」

「こんな会社辞めてやる」

「何も残ってない」

そんな言葉を口にした時、

以前より少しだけ、

その言葉の奥を見る人間でいたいと思う。

退職を止める、

という意味ではない。

辞めた方がいい仕事だってある。

環境を変えた方がいい時だってある。

でも、

その人が仕事を辞めたいのか、

それとも、

人生そのものから降りたくなっているのか。

そこだけは、

簡単に同じものとして扱いたくない。


今なら、彼に何を言うだろう

もし、

もう一度彼と話せるなら。

何を言うだろう。

「あの時、辞めるなって言っただろ」

そんなことではない。

仕事の話でもない。

失敗の話でもない。

たぶん、

一言だけだと思う。

生きててほしかった。

それだけ。

16年間。

本当にいろいろあった。

良いことも、

腹が立ったことも、

笑ったことも、

理解できなかったことも。

全部ひっくるめて、

同じ会社で生きた16年だった。

そして今、

もう二度と話せないことが、

ただ悲しい。


人生やり直しの途中

僕自身、

まだ人生の途中にいる。

失敗した。

たくさん失った。

家族の形も変わった。

寂しいと思う夜もある。

それでも今、

僕はここにいる。

そして今回、

改めて思った。

ここにいることは、当たり前じゃなかった。

自分が強かったからだけでもない。

誰かに支えられ、

誰かを守りたいと思い、

いろんなものに生かされながら、

今日まで来た。

だからこれからは、

「人生は何度でもやり直せる」

と簡単に言うだけじゃなく、

その人が

「もう一度立ってみようかな」

と思える何かを、一緒に探せる人間でいたい。

それが、

今の僕にできることなのかもしれない。

彼の死に意味をつけるつもりはない。

ただ、

16年間一緒に働いた一人の人を、

僕は忘れない。

本当なら、

まだ人生の途中だった。

本当に早すぎる。

長い間、

お疲れさまでした。

そして、

ありがとうございました。

どうか、安らかに。


リボーン|人生やり直しの途中。

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