昨夜、息子からLINEが来た。
「家に置いてある教科書を、明日の朝、駅まで持ってきてほしい」
そんな内容だった。
僕の家には、息子の教科書や荷物がまだいくつか置いてあった。
本当なら、もちろん届けるつもりだった。
でも昨夜は急遽、仕事の関係で呼び出され、そのまま出張になっていた。
だから、
「ごめん。出張してるから無理!」
と返信した。
息子からは、
「それならいいよ」
と返ってきた。
申し訳ないなと思いながらも、どうすることもできなかった。
そして今日の昼。
出張から帰ってきた僕は、息子にLINEを送った。
「もう帰ってきてるから、いつでも言って」
夕方になって返信が来た。
「19時45分頃、駅まで持ってきて」
僕は19時30分には駅に着いていた。
少し早いけれど、待つことにした。
たぶん僕は、息子に会えることを楽しみにしていたんだと思う。
会えたのは、ほんの3分だった
19時55分頃。
息子がやってきた。
でも、ゆっくり話す時間はなかった。
電車の時間が迫っていたらしく、かなり慌てていた。
荷物を渡して、
「家まで送ろうか?」
と聞いた。
息子が暮らしている家までは、車で片道1時間半くらいかかる。
それでも僕は送るつもりだった。
だけど息子は、
「大丈夫!」
と言って、荷物を持って走っていった。
会っていた時間は、3分もなかったと思う。
それでも嬉しかった。
ほんの少しでも息子の顔を見ることができたから。
元気そうだった。
それだけで十分なはずだった。
……なのに。
息子の後ろ姿が見えなくなってから、急に寂しくなった。
息子の荷物がなくなった
今日渡したのは、ただの教科書と荷物だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
頭では分かっている。
でも、その荷物を渡したことで、
僕の家に置いてあった息子の物が全部なくなった。
それに気づいた瞬間だった。
なんとも言えない喪失感が押し寄せてきた。
荷物がある間は、無意識のどこかで、
「ここもまだ息子の居場所なんだ」
と思えていたのかもしれない。
息子がいつもここにいるわけじゃない。
一緒に生活しているわけでもない。
それでも教科書や荷物が置いてあるだけで、息子の存在を感じることができた。
今日、それがなくなった。
もちろん、
荷物がなくなったからといって、親子じゃなくなるわけじゃない。
そんなことは分かっている。
それなのに、
息子との繋がりまで一緒になくなってしまったような気がした。
理屈じゃなかった。
ただ、寂しかった。
「お父さん、持ってきて」
考えてみれば、息子は僕を頼ってくれた。
「教科書を持ってきて」
そう言ってくれた。
僕が昨日届けられなかったからといって怒ることもなく、今日帰ってきたと伝えれば、また普通に連絡してきた。
だから、僕たちの繋がりがなくなったわけじゃない。
むしろ、
今でも息子にとって僕は、何かあったときに頼める父親なんだと思う。
今日だってそうだった。
僕は駅で待っていた。
息子は僕のところへ来た。
荷物を受け取った。
そして、それぞれの場所へ帰っていった。
ただ、それだけのこと。
ちゃんと親子だ。
それでも寂しい。
この二つは、矛盾しないんだと思う。
嬉しいのに、寂しい
離婚してから、ときどきこういう瞬間がある。
普段は仕事をしている。
SNSもやっている。
ブログも書く。
僕がここに至るまでのことは、自伝にも少しずつ残しています。
▶ 僕が人生をやり直そうと思うまでの話
一人で飯を食べることにも、一人で過ごす夜にも、少しずつ慣れてきた。
だから、自分ではそれなりに前へ進んでいるつもりだった。
だけど、今日みたいな何気ない出来事で、
以前とは違う生活になったことを突然思い知らされる。
息子と会えた。
嬉しかった。
なのに、そのあと無性に寂しくなった。
そして思ってしまった。
「この先、ずっと独りで生きていくのかな」
そう考えたら、急に怖くなった。
強がっても仕方がない。
僕はやっぱり、人のいる暮らしが好きなんだと思う。
誰かとご飯を食べたり、
くだらない話をしたり、
「ただいま」と言ったら「おかえり」が返ってきたり。
そんな何でもない日常が、今になってものすごく大切なものだったと分かる。
僕が「リボーン」という名前に込めたのも、結局はこういう想いなのかもしれない。
▶ 「リボーン」に込めた、本当の意味。
失って初めて分かることって、本当にある。
なくなったのは、息子との繋がりじゃない
それでも今日、一つだけ忘れないでおこうと思う。
なくなったのは、
息子との繋がりじゃない。
僕の家に息子の荷物が置いてある生活が終わっただけだ。
息子はこれからどんどん大人になっていく。
父親を必要とする場面も、今までとは変わっていくだろう。
息子とのことは、以前にもこんな記事に残しました。
▶『息子のお土産が、僕を泣かせた。』
▶ 息子の「まかせて」に救われた日
昔みたいに一緒に暮らすことはなくても、
親子の形が変わっていくだけなのかもしれない。
今日だって、
「持ってきて」
と言われて、
「いいよ」
と答えた。
それだけでいい。
きっと、こういう小さなやり取りを積み重ねながら、これからの親子になっていくんだと思う。
今夜は、寂しいままでいい
いつもの僕なら、
「前を向こう」
とか、
「人生はまだこれから」
とか書くのかもしれない。
でも今日は、無理にそう締めくくりたくない。
寂しいものは、寂しい。
息子の荷物がなくなった部屋を見て、
胸にぽっかり穴が開いたような気持ちになった。
そんな夜があったことも、
今の僕の人生の一部だから。
だから、この気持ちをここに残しておこうと思う。
いつか何年か経ってこの記事を読み返したとき、
「あの頃はこんなことで寂しくなってたな」
って笑える日が来るのかもしれない。
その頃、息子はどんな大人になっているんだろう。
僕は、誰と、どんな毎日を過ごしているんだろう。
今はまだ分からない。
ただ一つだけ。
今日、ほんの3分だったけど、
息子に会えて嬉しかった。
それもまた、嘘のない僕の気持ちだ。
リボーン|人生やり直しの途中。
人生は、前向きな日ばかりじゃない。
寂しい夜も、立ち止まる日も含めて、
僕はここに残していこうと思う。
そしていつか、
「あの日もちゃんと人生の途中だった」
そう思えたらいい。